鳥海山について
所在地:秋田県・山形県
山系:出羽山地
標高:2,236m(新山)
選定:日本百名山・花の百名山・やまがた百名山
鳥海山は山形県と秋田県の県境に跨る山です。その標高は2,236m、東北地方では燧ヶ岳に次いで第二位の高さを誇ります。日本海から立ち上がるように伸びる山肌が成す均整の取れた山体が特徴で、雪に白く染まった姿から「出羽富士」「庄内富士」「秋田富士」など郷土富士としても親しまれています。出羽山地に属していますが、北は本庄平野、南は庄内平野に面しており独立峰的性格が強い山です。こうした地理的条件から景観に恵まれており、麓の田園地帯の向こうに月山や奥羽山脈の山々が立ち並ぶ様は見事なものです。また、眼下に日本海を見渡す景色は海に面する山ならではの特色といえます。
鳥海山の見どころ
鳥海山は山体の基底部を成す古期火山体の噴出物、そして現在の鳥海山の山容を形作る西鳥海と東鳥海の火山体から成っています。
西鳥海火山は約15万年前から活動を開始し西鳥海馬蹄形カルデラおよび現在の鳥海山の象徴ともいえる鳥海湖を創り上げました。東鳥海火山は約1万年前から活動を開始して東鳥海馬蹄形カルデラを形成しました。その後も活動を続け、1801年の爆発的な噴火によって最高峰である新山溶岩ドームが生じました。
火山活動により生じた複雑に入り組んだ地形に、日本有数の豪雪地帯である東北地方の日本海側に位置するという地理的要因が加わり、山中の景色は極めて変化に富んだものになっています。登山道を進む度にめくるめく移り変わる風景が山行をより楽しく充実したものにしてくれます。
鳥海山大物忌神社
有史以降も火山活動を続けてその姿を変化させてきた鳥海山。そんな山に神性を感じた往古の人々は「大物忌大神」という名で山自体を御神体として崇め奉ってきました。穢れを避けるという意味の「物忌」という言葉が神名に含まれることからもその信仰の深さが伝わってくるように思えます。羽州の強力な神ということで北方守護とも結びつけられたことで国家からの信仰も篤く、大物忌神を祀る鳥海山大物忌神社は出羽国一宮とされており、さらに「延喜式神名帳」では名神大社と記され名実共に東北地方随一の神威を誇ってきました。
山形県といえば蜂子皇子の開山伝説が伝わる出羽三山の修験道が有名ですが、鳥海山でも中世以降には修験の影響が見えてきます。寺社においては大物忌神の本地仏とされた薬師如来と月山神の本地仏である阿弥陀如来を併せて両所大権現として祀られるようになり、麓には多くの修験集落が作られました。明治期の神仏分離により往時の祭祀形態は歴史の中にその姿を残すのみとなりましたが、形は変われど信仰は根強く残り、1970年代頃までは吹浦と蕨岡に鎮座する「口の宮」を中心にお山参りが盛んに行われてきたそうです。
鳥海ブルーラインの開通や観光登山の隆盛に伴って信仰としての登山は鳴りを顰めることとなりましたが、麓からその美しい山容を仰ぎ見れば人々に畏れられ愛されてきた鳥海山の威光の一端を垣間見えるでしょう。いわんや山域に一歩足を踏み入れればそんな鳥海山に根付いた深い歴史が身をもって感じられるはずです。
象潟口ルートについて
裾野の広い鳥海山には9つもの登山口がありますが、今回は西側を通る鳥海ブルーライン上に位置する象潟口から頂上を目指すことにしました。また、西鳥海を通り過ぎて東鳥海の八丁坂を登った所に分岐があり、ここで道は千蛇谷ルートと外輪山ルートに分かれます。今回は往路に千蛇谷ルート、復路に外輪山ルートを通ることにしました。前述の通り鳥海山は東西二つの山体から成り、このルートではこれらを横断することになります。鳥海湖も見たいし最高点まで登りたいという人にオススメのルートです。人が多い登山道で雪渓登りも無いので初心者の方にも最適だと思います。ただしどのルートにも言えることですが鳥海山登山のコースタイムはいずれも長いため、日没時間を確認し余裕を持って下山出来るようにスケジュールを組むことを心掛けていきます。写真を撮ったりして余計な時間を使う私のような場合には尚更、緻密なスケジュール管理が不可欠です。今回の登山では日の出とともに登り始めて下山と同時に日本海に沈む夕陽を眺める往復11時間の長丁場になりました。
扇子森・鳥海山(新山)・行者岳・伏拝岳・文珠岳 / 白雀さんの伏拝岳・行者岳(山形県)・鳥海山の活動データ | YAMAP / ヤマップ
象潟口から鳥海湖へ
時刻は午前5時、鳥海山象潟口駐車場では既に登山者がちらほら準備を終えて登り始めています。前日に鳥海山は初冠雪を迎えておりそれほど人はいないかなと思っていたのですが、さすがに人気の山なので平日の日の出前でも10数台は車が停まっていました。日本海側は少し空気が白んでいますが、天気予報では11時頃から晴れ間が見えるということなのでいいタイミングで山頂に着くことを期待しつつ登り始めることにしました。
登山口を歩き始めてからしばらくの間は舗装路になっています。駐車場から鉾立展望台までは数分で着くのでドライブがてら景色を見に来るのにちょうど良さそうです。奈曽渓谷の向こう、雲の切れ間から鳥海山最高峰の新山が見えます。今からあそこに登るんだと思うと楽しみな反面辛いような気もする微妙な心境になります。幸い一面雪に覆われている訳では無さそうなのは良い兆しでしょうか。
東には朝焼けに照らされる稲倉岳。鳥海山の上から見下ろした時に両端から谷が切れ込み稜線が刃のように伸びる姿が印象的な山です。
南側を見れば笙ヶ岳の斜面越しに日本海まで見えます。登山道脇は特に紅葉が進んでいるのでつい写真を撮ってしまいなかなか足が進みません。
しばらく進むと笹林に入ります。しっかり石が敷かれて藪払いもされているので快適に歩けます。露岩の目立つ谷間を登っていくと賽の河原に着きました。
この辺りから見渡す限り緑のササと草紅葉からなる高山らしい風景に変わっていきます。植生図と照らしてみると賽の河原の辺りからササ群落の中に雪田草原や風衝草原が混ざり始めるようです。この辺りは雪解けが遅いようで高木はおろか低潅木の類も目立たず見晴らしのいい場所がしばらく続きます。
御浜に着きました。先に見える建物は鳥ノ海御浜神社と御浜小屋です。傍には御浜の鐘が下がっています。浮き彫りされている花は鳥海山が基準標本産地であるミヤマウスユキソウ、山内では御田ヶ原の辺りで咲いているそうです。
今までずっと山の北西面を歩いてきましたが御浜の辺りから尾根を辿る形になります。南側には鳥海湖とそれを囲む外輪山から成るダイナミックな景色が広がります。ちょうど草紅葉の最盛期で山一面オレンジ色に染まっていました。
千蛇谷を降りて登って
御浜小屋を過ぎて鳥海湖の北東部に位置する扇子森の尾根を歩きます。登りはごろごろとした岩場ですがてっぺんの方は軽い砂利道といった感じです。正面には鳥海山の頂上が見えるはずですが、東鳥海は雲に覆われています。扇子森の南東部には周氷河地形である階状土と思われる縞状の植被を認めます。土まで凍りつくような厳しい鳥海山の冬に思いを馳せつつ進んでいきます。
扇子森を越えたら再度軽く登って七五三掛(しめかけ)に着きます。ここから一気に斜度がキツくなるのでしっかり休憩を取りました。頂上が全く見えないくらい雲が濃かったので雨雲レーダーも再度確認しましたが雨や雪の心配はなさそうなので先に進むことにしました。一度雲の懐に入ってしまうと天気の変化が分かりにくくなるので慎重に進みます。
外輪山の外側を登っていきます。振り返れば陽射しに輝く西鳥海が見えますが、果たして雲は流れてくれるのかちょっと心配。
外輪山コースと千蛇谷コースの分岐で左に曲がって千蛇谷の方に向かいます。名前の通り大きな谷を渡るコースで、まずは九十九折りの下り道を進みます。ここに来てまた下るんだ……とテンションも下り坂。事前にコースを見ているので分かってはいるんですけど実際歩いてみると心に来ます。
谷底のガレ場は東鳥海のカルデラ壁から崩れ落ちた岩が堆積してできた崖錐と呼ばれる地形。このガレ場を横断して北側の草に覆われた部分を歩いていきます。千蛇谷の向こう側は荒神ヶ岳溶岩流と呼ばれる溶岩の噴出によって出来た地形です。秋田大学の林教授の論文によると『日本三大実録』という古文書で西暦871年の噴火記録にて「二匹の大蛇」として伝えられる溶岩流であると考えられるそうで、現代に残る呼び名との類似が面白いですね。谷底には人の背丈ほどの岩が石ころのようにゴロゴロ転がっていて遠近感が狂いそうな景色です。雲が無ければ外輪山を内側から見上げるような場所となっていて、夏には雪渓とお花畑の美しい風景が見られるようです。
壁のように立つ外輪山の上の方は雲に覆われていて空の果てまで続いていそうです。斜面には岩肌が剥き出しになっており今も千蛇谷に岩塊を供給しているのでしょう。
草原を抜けて新山に近づくにつれて、昨日降った雪の残りが見え始めてきました。このぐらいの雪であればチェーンスパイクも必要なさそう。徐々に草木もまばらになり黒く角張った岩だらけの道になります。もう少しガスが濃いと道が分からなくなりそうです。
新山登頂
御室小屋に到着しました。素木造の神明鳥居が出迎えてくれます。山のてっぺんはまだうっすら雲がかかっているので、先に大物忌神社本社にお参りします。鳥居をくぐり小屋の前を通ると参道に入ります。無骨な岩がゴロゴロ転がる岩山の中にあって、整然と組まれた石垣が神秘的な雰囲気を醸し出しています。
こちらが本社です。山の上にありながらも20年毎に式年遷宮しており建屋は綺麗に保たれています。神社の建物が向拝の無い妻入りなのは少し珍しい気もしますが、正面に雪が落ちないようにこの形にしているのかなと思います。直線的な部材で構成された素木造の簡素な佇まいですが懸魚や破風のさりげない装飾と相まって、凛として端正な印象です。裏手には溶岩の大岩、その側には大物忌神社と刻まれた小さな石碑があります。良い旅になるようにお祈りしていきましょう。
参拝しているうちに雲が晴れてきました。祈ったとたんにご利益がありました。天気予報通りとも言えますが。
ということで新山に登っていきます。人の背丈ぐらいの大岩をよじ登っていくことになるので気を引き締めていきましょう。道なき道を進むことになりますが所々に矢印がマーキングされているので迷わず進めます。
こちらが新山の名所「胎内くぐり」です。岩の隙間を降りていくのですが、底に雪が積もっていて滑りやすく少しヒヤヒヤしました。進んだ先には新山の頂上部が見えてきました。
頂上に着きました。ちょっとガスがかかっているので数分ゆっくりしていたら空が晴れてきました。地平線まで覆い隠すようにもこもこと雲が浮かび、天上の世界に来たような気分です。頂上はそこまで広くないのでそそくさと撤退します。
帰路では岩の隙間から日が射し神々しい雰囲気になっていました。岩を潜ると目の前には庄内平野と日本海が見えてきます。雲が大分流れていったようです。
晴れたところでもう一度神社へ。これからどんどん雪が降って鳥居も埋もれてしまうのでしょう。晴れて神社の全容が明らかになると改めてすごい場所に建っていると実感しました。
絶景の外輪山
天気も良くなってきたところで外輪山の方に向かいます。小屋の脇を通って新山を巻くように進んでいくと目の前に急斜面が見えてきます。ここが今回で一番の難所でした。外輪山内側の急斜面に積もるのは昨日降りたてホヤホヤの新雪。しかも日に照らされて少し溶け始めていて全く締まりがありません。一歩一歩しっかり踏み込み、雪の多い所はキックステップで足場を作りながら登ります。大した距離ではないですが緊張感のある道でした。
振り返ると新山を一望できます。岩を無造作に積み重ねたようなシンプルな外観です。
左側には七高山、右側に外輪山の稜線が続きます。右に曲がって外輪山ルートに入ると眼下には東鳥海馬蹄形カルデラが見えてきます。
西鳥海が姿を現しました。列を成す山々の中にぽっかり浮かぶ鳥海湖、一幅の絵のような風景を視界に収めながら歩を進めていきます。
北の方から雲が上がってきました。海から吹いてくる湿った風が山にぶつかって雲ができる過程が目の前で進んでいます。雲が湧いてくる方を覗いてみるとブロッケン現象を見ることができました。ここまではっきりと見えたのは初めてだったので一人でしばらく手を挙げたり振ったりして遊んでいました。
七五三掛まで戻ってきました。ガスがなければこのように向こう側の新山まで見えるんですね。
夕焼けの登山道
ここからは登りで歩いた道の復路になります。往路ではガスで見えなかった山肌の綺麗な紅葉を眺めつつ扇子森を登り返します。
鳥海湖に戻ってきました。黄、緑、紺色の色彩がカルデラ湖のダイナミックな景観を際立たせます。
鳥海湖の展望地に着いて5分ほどで周囲にガスがかかってきてしまったので休む間もなく帰路に着きました。小屋を過ぎたらひたすら下り坂です。霧に夕日が乱反射して辺りに黄金色が充満しているような風景でした。
雲間から差し込む陽光を眺めながら先を急ぎます。海が見えてきたらもうラストスパート、駐車場もすぐそこです。
ギリギリ日没前に登山口に帰ってこれました。我ながら完璧なスケジューリングです。充実した鳥海山登山に終わりを告げるかのように夕日が日本海へと沈んでいったのでした。
まとめ
今回は紅葉のピークを迎えた鳥海山を象潟口から登りました。カルデラ特有の箱庭的美に青く輝く鳥海湖が花を添える西鳥海。火山活動の作り上げたダイナミックな景観が自然の力強さを伝える東鳥海。両者を通る鉾立ルートで鳥海山の魅力を心行くまで堪能することができました。頂上までの距離は比較的長いですが難所が少なく登山道もしっかり整備されているので、じっくり景色を楽しむ山行が好きな方には特におすすめです。雪渓渡りやお花畑などまだ紹介しきれていない見どころもたくさんあるので今度は季節を変えて訪れてみたいと思います。
公式サイト
中野 俊(2015)詳細火山データ集:鳥海火山.日本の火山,産総研地質調査総合センター(https://gbank.gsj.jp/volcano/Act_Vol/chokaisan/index.html)
国土地理院(2024)火山土地条件図「鳥海山」1:50, 000
国土地理院(2020)火山土地条件図「鳥海山」解説書(https://www.gsi.go.jp/common/000225784.pdf)
気象庁(2013)29 鳥海山 Chokaisan:日本活火山総覧第4版(https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/menu_jma_hp.html)
環境省生物多様性センター(2020)1/25,000植生図「鳥海山(ちょうかいざん)」
鈴木正祟(2012)「山岳信仰の展開と変容:鳥海山の歴史民俗学的考察」『哲學』No.128, p.447-514
林信太郎(2001)「鳥海山貞観十三年(871年)噴火で溶岩流は噴出したか?ー『日本三大実録』にあらわれた「二匹の大蛇」の記録に関する検討ー」『歴史地震』No.17, p.171-175
深田久弥(1978)『日本百名山』新潮文庫
岡陽子 編(2020)『日本百名山山歩きガイド 上』JTBパブリッシング